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東京高等裁判所 平成4年(ネ)3723号 判決

控訴人・附帯被控訴人

ボビー・マックスド

右訴訟代理人弁護士

村田敏

伊藤重勝

被控訴人・附帯控訴人

有限会社改進社

右代表者代表取締役

吉田義信

被控訴人・附帯控訴人

吉田義信

右両名訴訟代理人弁護士

簗瀬照久

大嶋芳樹

主文

本件控訴及び本件附帯控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人・附帯被控訴人の、附帯控訴費用は被控訴人・附帯控訴人らの、各負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  控訴人・附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)

1  (控訴の趣旨)

(一) 原判決中、控訴人敗訴部分のうち次項①、②の金員請求に関する部分を取り消す。

(二) 前項の部分につき、①被控訴人・附帯控訴人株式会社改進社(以下「被控訴人会社」という。)は控訴人に対し、一〇九二万六四二四円及びこれに対する平成二年七月一四日から支払済みに至るまで、年五分の割合による金員を支払え。②被控訴人・附帯控訴人吉田義信(以下「被控訴人吉田」という。)は控訴人に対し、一一四三万四五二七円及びこれに対する平成二年三月三〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  附帯控訴棄却の判決

3  訴訟費用は、第一、二審を通じて被控訴人らの負担とする。

4  1項二の①及び②につき仮執行の宣言

二  被控訴人会社及び被控訴人(以下両名をあわせて単に「被控訴人ら」ともいう。)

1  控訴棄却の判決

2  (附帯控訴の趣旨)

① 原判決中被控訴人ら敗訴部分を取り消す。

② 右部分についての控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審を通じて控訴人の負担とする。

第二  当事者双方の主張

次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  控訴人

(一)  休業損害について

① 控訴人は、本件事故による受傷後、被控訴人会社により解雇されるまで三〇日間被控訴人会社を休業したのであるから、控訴人が右受傷後一六日経過後に他の製本会社(作信社)で稼働していたとしても、事実上、被控訴人会社では稼働できなかった以上右休業を補償するため、被控訴人会社は控訴人に三〇日間分の休業損害を賠償する責任がある。

② 控訴人の平均賃金は、一日当たり五九三七円(〈書証番号略〉による)であるから、これを基準として三〇日分の休業損害額を算定すると、一七万八一一〇円となるから、原判決による認定金額より五万七六八二円増額されるべきである。

(二)  後遺障害による逸失利益について

① 控訴人の逸失利益の算定にあたっては、控訴人が日本で稼働できうる期間を向こう三年間とみるのは不当である。けだし、控訴人の本国パキスタン回教共和国(以下単に「パキスタン」という。)は、政府自らが同国民の海外への労働力移動による外貨獲得のため、右労働力移動政策を積極的に支持しその促進を図っている。右政策の背景には、海外出稼労働者からの送金による外貨獲得が商品の輸出総額を上回わり、国の経済を支える中心的役割を担っているという事情がある。かような出稼外国人ないし移民労働者が、世界的規模で定住化し、展開していることは明白な事実である。パキスタン人労働者は日本でなくとも他の欧米諸国等に出稼労働者として移動して稼働するのである。このようなパキスタン人出稼労働者である控訴人の日本国ないし欧米先進諸国における出稼による高賃金の取得年数が三年に限られることはなく相当長期にわたるはずである。

② もし、控訴人が本国に戻って仕事に就いても、一か月平均二万一〇〇〇円(二〇〇〇ルピー)にしか過ぎない。このような同国内の経済状況のもとでは、国家の重要な政策として海外への出稼が推奨され、一旦帰国しても再び海外へ出て稼働することを希望する者が多い。そして、中東地域に多数展開するパキスタン人出稼労働者の平均収入は、日本円に換算して、一か月六万ないし九万円(一万ないし一万五〇〇〇円ルピー)である。これを前提とすると、パキスタン人でも熟練労働者としての能力のある控訴人の場合は、一か月の収入は、最低でも、九万円程度は得ることができるはずである。したがって、右金額をもって逸失利益算定の基準とすべきである。

③ 仮に、控訴人の逸失利益が日本賃金基準で算定されない場合でも、パキスタン人労働者の中近東地域における実績に鑑みれば、控訴人の年収を一〇八万円(月収九万円)とみて、これを基準として(かつ、労働能力喪失率二〇パーセントとみて)新ホフマンもしくはライプニッツ方式により中間利息を控除して逸失利益の現在の価額を算定するべきである。そうすると、控訴人の逸失利益は四七四万五五二〇円(新ホフマン方式による場合)もしくは三七三万五五〇四円(ライプニッツ方式による場合)となる。

④ なお、本件事故による控訴人の労働能力の喪失率は、日本で二〇パーセントであるが、控訴人が本国パキスタンに帰国した場合には、同国の失業率の高さ、経済不振及び政情混乱に鑑みて、控訴人の本件受傷(日本では「人指し指の末節部分切断」で第一一級七号該当と認定されたにすぎないものであっても)は、控訴人の本国では「一手の親指及び人指し指を含んだ四の手指を失ったもの」とみて後遺障害別等級第六級八号に等しい労働力喪失に該当するとみるべきであるから、その労働能力喪失率は六七パーセントに等しいものとなるというべきである。

(三)  慰謝料について

控訴人は、日本語に通じていず、受傷しても周囲に痛みを訴える相手はおらず、異なった生活慣習の中で孤独に治療を受けなければならなかったうえ、本件事故後は、住居を追い出され、仕事は解雇され、労働の場も一方的に奪われたのであるから、慰謝料の認定にあたっては右の事情をも考慮して、なお高額に算定されてしかるべきである。

(四)  過失相殺について

控訴人は、中綴じ作業は初心者であって、日本語にも通じておらず、その要領が全く分からなかったので、当初は右作業を拒絶したが、製本期限が当日限りに迫っていた被控訴人側の都合で右作業を強制的に命じられて行ったものである。被控訴人らに重大な安全配慮義務違反があったものであり、本件事故発生には控訴人には過失が全くないか、あっても僅少でしかない。

(五)  損害の填補について

控訴人が、労災保険からの休業補償給付及び障害補償給付として合計一七七万七六九七円の給付を受け、右給付中に特別支給金三五万三七八七円が含まれるが、右特別支給金は労災の本来的給付ではなく、労働福祉事業の一環としてなされる被災者に対する援護を目的とするものであり、政府が加害者に対して損害賠償請求権を代位取得する旨の規定がない。そうだとすれば、右特別給付金は労働者の生活をより厚く保護するために設置されたものとして、本来の補償給付とは、その趣旨を異にするから、これを被災者の損害賠償の填補を目的として総損害額から控除すべきではない。

2  被控訴人ら

(一)  休業損害について

控訴人の一日当たり平均賃金が五九三七円であることは控訴人主張のとおりであるが、控訴人が休業したのは日曜を除く一六日間であるから、一六日間分に限って休業損害を認めるのは当然である。したがって、控訴人の休業損害は、右一日当たり平均賃金五九三七円を基準として休業期間一六日分を算定すれば足り、それ以上高額に算定することはできないはずである。

(二)  後遺障害による逸失利益について

(1) 一概に外国人労働者といっても、①永住者として在留資格を有する場合、②一時滞在者であるが、日本国において行うことができる活動中に就労が含まれている場合、③前記②該当者が在留期間を超えて在留している場合、④一時的滞在者であり、日本国において行うことができる活動中に就労が含まれていない場合、⑤前記④該当者が在留期間を超えて在留している場合、⑥密入国者のように、なんら在留資格を有しない場合等に分類することができ、日本国において就労することが可能かどうか、その程度、収入の継続性、安定性等に差異があるから、それら外国人労働者の逸失利益の算定についても日本人労働者と同様に算定するべき場合もあれば、そうすべきでない場合もあるのであって、それらを一律に扱うことはできない。

(2) 控訴人は、前掲分類中⑤の場合に該当する者であるから、そもそも、日本国で就労することは許されず、仮に日本国で違法に就労していたとしても、本来、日本から任意出国しなければならないし、出国しないときは、強制退去処分の対象とされる者であるから、収入の継続性、安定性を欠くものである。したがって、日本国の賃金額を基礎として控訴人の将来の逸失利益を算定することはできず、控訴人の本国であるパキスタンの貨金額を基準として算定すべきことになる。

(3) 控訴人の後遺障害の等級は一一級七号に該当し、労働能力喪失率は、等級表上は一応二〇パーセントとされているが、控訴人の年令、職業、後遺障害の内容、部位、程度等を総合的に判断すれば、控訴人の労働能力喪失率を一〇パーセントとし、パキスタンにおける労働者の一日当たりの平均収入額を三五〇円(五〇ルピー)とし、ライプニッツ方式により中間利息を控除して逸失利益の現在価額を算定するべきである。これによれば、一六万九四九四円となる。

(三)  慰謝料の算定について

控訴人の本国パキスタンにおける賃金水準や物価水準は日本国におけるそれよりも格段に低いのであるから、もし、控訴人に対して通常採られている方法による損害賠償額が認められるとすれば、実質的には日本国民より多額の賠償額を認めたと同じ結果となり、かえって不公平になる。したがって、原判決認定の慰謝料額二五〇万円は高額に過ぎ、さらに減額されてしかるべきである。

(四)  過失相殺について

本件製本機械は、本来危険なものではなく、素人でも容易に取り扱えるものであって、これまでもパートの婦人が操作していても一度も事故が生じたことはない。本件事故当日、被控訴人らが控訴人に中綴じ作業を強制したことはなく、控訴人が右作業を拒否したことはない。控訴人は、本件事故当日までには、被控訴人会社において製本の平綴じ作業をするようになって一年以上も経過しており、その作業には熟達していたところ、本件事故当日控訴人がした作業は中綴じ作業であったが、右両作業とも同じ製本機械を扱うものであり、作業者が足で機械のペタルを踏まなければ綴じ針が降下することはない。控訴人は、足で機械のペダルを踏むことによって針が降下することや針が降下する位置については十分認識していたのであるから、本件事故は一方的な過失によって発生したものであるか、そうでなくとも控訴人の過失割合は八〇パーセント以上ある。したがって、被控訴人らの損害賠償責任額は右過失割合で過失相殺されてしかるべきである。

(五)  損害填補について

労働者災害補償保険特別支給金支給規則に基づく特別支給金は、①本来的保険給付と支給事由または支給額において密接不可分のものであること、②機能的には本来的保険給付を補う所得的効果をもつものであること、③その財源も本来的保険給付と同じく事業主の支払う労災保険料の中に求められており、④使用者行為災害の場合に被災労働者が当該負傷または疾病につき事業主が負担する保険料に基づく特別支給金の支給と損害賠償とを取得することは二重の填補を受ける結果となることが明らかであるから、特別支給金も本来的保険給付と同様に受給権者に対する損害填補の性質を有するものである。したがって、控訴人がすでに労災から受給した特別支給金は、控訴人の逸失利益額から控除されるべきである。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一当裁判所も控訴人の本訴請求は、被控訴人らに対し各自一九五万円及びこれに対する被控訴人会社については平成二年七月一四日から、被控訴人吉田については平成二年三月三〇日から、各支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がないものと判断するが、その理由は、以下に補足するほかは、各争点についての原判決理由説示のとおりであるから、これを引用する。

1(休業損害について)

控訴人は、本件事故による控訴人の休業損害の算定基礎となる休業日数について、一六日は短期間に過ぎ、三〇日間と認めるべきであると主張するが、控訴人の主張によっても、本件事故発生時である平成二年三月三〇日の翌日である同月三一日から四月一八日までの一六日間は被控訴人会社を休んだが、同月一九日からは訴外製本会社作信社で働くようになったことを認めているのであるから、控訴人は右他社で稼働し始めた時点で、製本作業の労働が可能な状態に回復していたものと認められるのであって、四月一九日以降に被控訴人会社において稼働しなかった事実だけでそれ以降の休業損害を認めることはできない。

2(後遺障害による逸失利益について)

控訴人は、後遺障害による将来の逸失利益を算定するにあたっても、本件事故直前に控訴人が日本国において取得していた一日当たり平均収入額を基準として算定するべきと主張する。しかし、控訴人の右主張の前提となるパキスタンの経済政策、海外出稼労働者の仕送りによる外貨獲得の事情がその主張の傾向にあっても、世界の経済先進国がこれら出稼労働者を受け容れるかどうかは、その国々の法制度、経済施策その他社会的背景等によって異なるはずであり、日本国の場合においては、控訴人のような短期在留資格で入国し、右在留期間を経過した後も就労を継続している者は、早晩入管法により強制退去処分の対象者となるはずのものであって、かかる日本国の法制を無視してさらに長期間に及び日本国に在留することが当然可能であることを前提とする主張は、架空の論理でしかない。また、控訴人はいったん本国パキスタンへ戻ってもすぐに海外先進諸国へ出稼を継続するというが、近時の欧州先進国にせよ、経済目的のための外国人入国を制限する傾向にあり、控訴人主張のように他国での労働による収入獲得はそう簡単なことではないはずである。そのような仮定事実を前提とする控訴人の主張は採用することができない。

控訴人が本件事故により右人指し指を本件製本機械に挟まれ、その末節部分を切断し、その後遺障害は、労災保険により一一級七号に該当するとの認定を受けたことは当事者間に争いがない。控訴人の主張は、右事実を認めながら、仮に、控訴人が本国に戻った場合はパキスタンの失業状態等を勘案すると、比喩的にみてより高度に、片手の四指をもがれた同程度と等級の後遺障害による労働力喪失率を認めるべしというのであって、本件事故と相当因果関係にある範囲の実損害の額を認定するにあたり、そのような主張を前提とするわけにはいかない。なお、原判決は、控訴人の場合、作信社退社後なお三年間も日本国に在留するであろうとの推定のもとに相当余裕ある期間の推移をみたうえ控訴人が日本国内で得べかりし収入を算定しているのであって、右金額の算入により控訴人の逸失利益は多目となっていても少額にすぎることにはならない。

3 過失相殺について

当裁判所も、被控訴人ら及び控訴人の過失の有無及びその割合については、この点についての原判決理由中の説示と同様の認定判断をするものであり、さらにこれを変更する要をみない。

4 損害の填補について

本件事故により控訴人が労災保険から受給した特別支給金も本来的保険給付と同様に受給者に対する損害の填補(ただし、精神的損害以外の財産的損害の填補に限る。)の性質を有するものと解するのが相当である。したがって、控訴人が既に受給した右特別支給金の金額を控訴人の被った本件事故による損害のうちの財産的損害から控除するのが相当であり、その結果控訴人の財産的損害はすべて填補されたことになる。したがって、控訴人が被控訴人らに本件事故により被った損害としてその支払を請求できるのは、慰謝料と弁護士費用だけ(ただし、前示各金額につき過失相殺した後の金額)ということになる。

二よって、本件控訴及び附帯控訴は理由がないから、いずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官宍戸達德 裁判官伊藤瑩子 裁判官福島節男)

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